
| 2005年度 五十嵐 賢 の 山のたより |
●2005.9.24 ◆◆山紀行味発見 多良岳◆◆ 佐賀県の代表的な民謡「岳の新太郎さん」(ザンザ節)は建物の基礎を固める地固め唄として歌われてきた。岳とは佐賀、長崎両県にまたがる多良岳のことだ。この山地は古い火山のため侵食が激しく、林立する岩峰群や深い渓谷が独特の山岳景観をつくりだしている。多良岳は標高では両隣の経ガ岳や五家原岳に譲るが山群の中央に位置し、平安時代から真言密教の修験場として栄えてきた。 この山地には両県から多くの登山道が伸びているが、西側の大村市黒木登山口がちょうど火口内壁の要の位置にあたり、体力に応じて、三山のさまざまな回遊コースの設定が可能で、他のコースより断然有利である。 が、 私は秋から冬にかけては、回遊には不利な東側の佐賀県側から経ヶ岳や多良岳を目指すことが多い。 山地の東側を通る国道(207号)は鹿島市を過ぎると、干満の差6メートルと干潟の面積のいずれもが日本最大といわれる「宝の海」有明海の波打ち際を行く。あるときは銀鼠色に輝く干潟を、あるときは鏡のような内海を見ながらの快適なドライブコースだ。 「月の引力が見える町」、太良町に入ると、カキ海道と呼ばれるほどカキ(焼き)小屋が並ぶのは冬の風物詩。地名を冠して竹崎かにと呼ばれるガザミはこの季節は雌がにの旬である。 JR太良駅の南に案内板があり、中山キャンプ場を目指す。登山道は千鳥坂、幸福坂、見上坂、夫婦坂を過ぎれば役の行者(えんのぎょうじゃ)の石像ある稜線に出る。左に登れば鎖場から石祠のある多良岳山頂。下山は九合目にある金泉寺に立ち寄って行こう。小さなお堂のある金泉寺の境内には立派な山小屋もある。 民謡の新太郎さんはこの金泉寺の寺侍だったとか。今でいう、すごいイケメンだったらしく麓の乙女たちは胸をときめかしていたという。いかんせんこの寺は女人禁制。やむなく、彼が下山してくるときにはたくさんの燈籠で出迎え、山へ帰るときには道に水をまいて、滑って帰れないようにしようという切ない乙女心を歌ったものである。 岳の新太郎さんの下らす道にゃ ザンザ ザンザ 金の千燈籠ないとん 明れかし いろしゃ(色者)の すいしゃ(粋者)で気はざんざ あら、よーいよいよい よーいよいよい (岳の新太郎さん 一番) さて、イケメンでないわが身には麓で待つ乙女はいないが、竹崎かにでも食べに下ろうか、それともかき焼きにするか。 寄り道 有明海は魚介類の宝庫。佐賀県側では特にカキとカニが有名。カニはガザミで、竹崎漁港で水揚げされるものは「竹崎かに」と呼ばれている。春から夏はオス、秋から冬にかけてはメスが旬という。私は竹崎城址展望台の前にある 旬工房 竹崎(0954−68−3446) に立ち寄った。カニは3150円〜5250円の定食がいい。たっぷり身の入った2匹のカニ、吸い物にも半匹のカニが入っていた。サービスに出してもらった珍味の脱皮ガニのから揚げはめったに入らず、予約制。持ち帰りなら特産品販売所たらふく館(0954−67−9117)などで販売している。カキ焼きは国道沿いのカキ(焼き)小屋で食べるのが野趣満点。 ガイド・・・マイカーかタクシーを利用して中山キャンプ場へ、山頂まで約2時間。経ヶ岳方面に進み中山峠からキャンプ場に戻る回遊コースはさらに2時間を要す。 |
●2005.4.30 ◆◆ふるさと山紀行 宝満山◆◆ メインタイトル 山男の意気試す霊山 サブタイトル 人気者、険しさが魅力 宝満山は今から1300年前の天智天皇の御世に古都大宰府(だざいふ・太宰府の旧名)ができたとき、北東の鬼門守護の山として竈門(かまど)神を祀っていたため竈門山と呼ばれてきた。また、旧郡名の御笠郡にあるため御笠山とも呼ばれていたが、次第に修験の霊場の山となり、修験者によって宝満大菩薩が祀られ、宝満山と呼ばれるようになった。 福岡市の東南約16キロにあるこの山は標高830メートルと、決して高い山ではない。だが江戸時代の学者、貝原益軒は「この山は国の中央にありていと高く、造化神秀の集まれるところにして・・・・」と記している。標高では福岡市内にある脊振山(1055メートル)、修験の山として全国的にも有名な英彦山(1200メートル)に比べるまでもない。「いと高し」とは「いと気高し」だろうか。それとも「いと険し」の意味だろうか。それなら辻褄(つじつま)が合う気がする。 福岡近郊の人たちにとってこの山は山の険しさやきつさのバロメーターになっていて、たとえば宝満に登れたら九州の山はどの山でも登れるとか、祖母山や傾山なら宝満を二往復できれば登れるとか。こんな言葉をたよりに、ザックにブロックや水を詰めてトレーニングに励み、九州の山々から、やがて日本アルプスやヒマラヤなど海外の山を目指した若者は多い。 西鉄電車を太宰府駅で降りると、参道の両側に名物の梅が枝餅を焼く茶店が並ぶ。太宰府天満宮の裏手に回り、30分ほどで山名の由来となった竃門神社。ここから登りはじめ、3合目の水場まではたいしたことはない。このさき展望のない杉林の中、急坂に不揃いの石段が続く。それを過ぎると百段がんぎと呼ばれる石段。このあたりまでで初心者はばててしまう。登山はきらいという人の多くは、この山での苦い経験をもつ。 中宮跡から3つのコースに分かれる。山頂へ直登する男道は花崗岩の岩の道、羅漢道はいったん下って登り返す道、いずれも険しい。女道だけが山腹を巻いて山号あのあるキャンプ場へ進むなだらかな道である。山頂には上宮が鎮座し、きついだけといわれる宝満山も山頂はさすがに展望がいい。なんとか登れても下山で膝を痛める人が多いのもこの山の険しさの特徴だ。 かつては修験道場であったこの山に求めるものは険しさだろうか、今日も続々と修験者のような顔をしてトレーニングに励む登山者の列が続く。 益軒の言った「いと高し」とは「人気が高し」の意味であるかのようにこの山の登山者の数は九州で一、二を争うといわれている。 (日経新聞 平成17年4月30日 ふるさと山紀行 掲載) |
●2005.3.19 ◆◆ふるさと山紀行 英彦山◆◆ メインテーマ 光と水 司る修験の山 サブテーマ 頂に最大級の本殿 福岡、大分両県の県境に、出羽の羽黒山や大和の大峰山と並ぶ日本三大修験道の山、英彦山がある。七里四方を神域とし、山中には250坊3500人の衆徒が生活。70の末寺、42万の檀家は九州全域におよんでいた。 山中を歩くと至る所に肥前、鍋島藩(現在の佐賀県)とのかかわりがみられる。この山が日の神(天照大神)の子を主祭神とすることから日子の山と呼ばれ、いっぽう水分(みくまり)の峰として水を司ってきた。太陽と水、農業が主産業の佐賀にとってなにより重要なこの二つの要素で彦山信仰が盛んになったことはいうまでもない。しかし、それ以外にも特別な理由があった。 時は戦国時代にさかのぼる。佐賀城を自軍の10倍以上を超える六万の兵力で大友軍に包囲されたとき、英彦山系の山伏が援軍として大活躍。敵に壊滅的な打撃を与えた。藩祖、鍋島直茂は感謝のあまり、(彦山)権現の方を伏し拝んだという。今ひとつは、彦山を肥前、竜造寺氏が攻撃したあとのこと。肥前では不作が続き、農民は彦山に遠路、日参祈願。やがて不作は終止符を打つ。もともと、信仰心の強い土地柄だがこのことで藩主と領民、つまり藩をあげて彦山信仰が広まった。 バスを降りて英彦山登山口に立つと参道の入り口に青銅製の立派な銅鳥居(かねのとりい、国指定重要文化財)がある。初代鍋島藩主の寄進のこの鳥居に約100年後、霊元法王の勅額「英彦山」が掲げられ山名に「英」の尊称が冠された。参道は奉幣殿まで1キロほど。この間、整然と並ぶ60対基の石灯籠も鍋島藩時代から昭和にかけての寄進といわれ、両側には坊舎の石垣が続く。 参道のなかごろにある増了坊は3大宿坊の一つという大きさで、鍋島藩の宿坊というものうなずける。「肥前檀那は二の膳つき」と宿坊では夜食にぼたもちなどを特別に供していたという強い絆を示す言い伝えがある。 豊前、細川藩寄進の英彦山神宮奉幣殿(国指定重要文化財)を過ぎると登山道に変わる。下宮から中宮までは荘厳な杉林の急坂。しばらくは平坦だが鍋島藩ゆかりの稚児落としから再び急坂となる。行者堂をすぎると、九重山、阿蘇山、雲仙岳を望む中岳山頂に立つ。山頂の上宮は神殿、拝殿を合わせると46坪ほどあり、この標高(約1200メートル)では日本最大級といわれている。この上、中、下宮の改修や再建を鍋島藩が受け持っていた。 ガイド 登山情報問い合わせ先 添田町役場 0947−82−1231 (日経新聞 3月19日(土) 夕刊 掲載分) |
●2005.3.12 ◆◆ふるさと山紀行 祖母山◆◆ メインテーマ 険山に待つ森の貴婦人 サブテーマ 甘い香り 来客包む
日本百名山の著者、深田久弥は九重山から一連なりの山を見てその右端が祖母山、左端が傾山と確認している。祖母山にぜひ登らねばならぬという思いは2年後に果たされた。登山者の少ない早春の山が好きな彼が祖母山に登ったのはちょうど今頃の3月中旬だったという。同行したのは当時の九州山岳界のリーダーだった加藤数功氏で、大分県の竹田市神原から緒方町尾平という鉱山のある集落へ下り、翌日は傾山へ登っている。 このとき、深田は同行した加藤氏にオオヤマレンゲの季節の祖母山を勧められたと山岳遍歴という著書の中で紹介している。遠来のお客様に、祖母山のベストシーズンを案内したいという加藤氏の思いはオオヤマレンゲの花と季節だったのだ。 オオヤマレンゲ(大山蓮華)は紀伊半島の大峰山系に多いといわれているが九州でも祖母・傾山地のほか阿蘇・根子岳、熊本県の最高峰、国見岳などで群落がみられる。3つの萼片と6つの花弁は純白で椿の花くらいの大きさ、形は蓮の花を小さくしたと思えばよい。花弁の中の黄色からオレンジ色のおしべがよく目立ち、開花すると一面に甘いかおりを漂わせる。このかおりに気づいて周囲を見渡すともくれん科特有のハート形、うすみどりの葉の中に純白の花を見つけるのは楽しいものだ。 九州を代表する花といえばツツジ科のミヤマキリシマ。九重、阿蘇、霧島、雲仙といった火山地帯の山々の山肌一面をピンクに彩るミヤマキリシマは登山者の憧れの花だ。 一方、オオヤマレンゲはミヤマキリシマとほぼ花期が重なること、梅雨時の阿蘇の岩場や祖母山、国見岳といった険しい山に登る気になれないといった事情からこの花を見たことのある登山者は意外に少ない。清楚で純白の花、甘いかおりに加えて、響きのいい語感をもつことから森の貴婦人、天女の花などとたとえられている。 さて、祖母山のオオヤマレンゲに出会ってみたいという強い意志があれば6月中旬から下旬、梅雨晴れの日をねらって山頂近く、9合目の山小屋「あけぼの山荘」を訪ねるといい。木漏れ日の照明の中、うす緑のカーテンに包まれて、純白のドレスにオレンジ色のネックレス、ほのかにあま〜い香水をつけた貴婦人がやや、うつむき加減であなたを待っているだろう。 5月の連休のアケボノツツジの頃からオオヤマレンゲの頃に歩かれると無骨な山という印象だけでなく花の百名山(田中澄江著)にも登場する花の山を実感されるだろう。
ガイド 日本百名山のコースを歩くならJR豊肥本線竹田駅から竹田交通バス、神原行きバスで終点下車。一合目の滝を過ぎて1時間で登山口、五合目小屋を経て国観峠まで2時間30分、さらに九合目の分岐で左の小屋への道をとる。分岐からから35分ほどで祖母山頂。下山の緒方町尾平へは山頂から傾山への縦走路をとり、天狗岩の手前から黒金尾根を川上渓谷へ下る黒金尾根コースと小屋まで戻り、障子岩尾根から宮原で右に下る宮原コースがある。どちらも約3時間30分を要する。尾平から緒方町営バスに乗って一時間でJR緒方駅。JRとバス利用の場合、日帰り登山では無理が来る、山小屋を利用したい。 登山情報問合せ先 緒方町役場 0974−42−2111 (日経新聞 3月12日(土) 夕刊 掲載分)
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